平成3年3月 |
横浜国立大学経営学部経営学科卒。
組織戦略論専攻(山倉ゼミナール、第11代ゼミ幹事)。 |
4月 |
国際証券株式会社入社。広島支店営業課配属。 |
平成4年6月 |
外国株式担当になる。
ナスダックのハイテク銘柄を中心に、成長株の銘柄の提案営業を開始。
(シスコシステムズの株価が5$の時代) |
平成5年3月 |
証券会社のノルマ主導的な営業体制に納得がいかず、本店配属も断り退社。 |
平成5年4月 |
大創産業株式会社入社。
100円SHOPダイソーチェーン展開をしている、現在では年商3000億円(平成16年3月)までになっていますが、私が入社したころは、まだ100店舗ぐらいでした)。
流通量販大手店・デベロッパーとの交渉や、フランチャイズ開発の業務にあたり、物件審査や立地調査、新店計画の推進を行う。 |
平成7年1月 |
店頭公開プロジェクト委員会リーダーを担当する。
監査法人トーマツ、大和キャピタルとともに合同で準備を開始。 |
6月 |
大創産業の成長は、この時点で既に1000億円以上の売上げになることを確信し、大組織の中でいちサラリーマンとして仕事をするよりも、自分の可能性を試すことを選び、退職。 ちなみに、この時の大創産業の年商は230億円でした(店舗数は約500店)、今はいわずと知れた代表的なナショナルチェーンです。 |
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約1年間、弁当宅配専門店とパスタチェーン店の「ピエトロ」でアルバイト。
おかもち持って出前(バイクでデリバリー)したり、ピエトロでは、ホールだけでなくフライパンふって料理もしてました。 |
平成8年5月 |
広島市のマルチメディア小売フランチャイザー株式会社ブルート入社。
広島中央通店に配属。 |
10月 |
店舗の総責任者となる。 |
12月 |
単店売上げとしては、TVゲームだけで6000万円(月商)を記録する。
これは、推定ですが業界内最高と思われます。 |
平成9年2月 |
本部商品課に配属。TVゲーム担当責任者となる。 |
7月 |
商品課において、TVゲームの担当責任者(チーフ)となる。
仕入れの統括として、全国のフランチャイズ、直営店の注文をもとに本部仕入担当業務を行う。仕入額は、月間平均10億レベル。プレイステーションだけで1000タイトル以上、発注総額10億円以上の仕入れ業務を担当していました。 |
12月 |
TVゲーム業界の最繁盛期である年末において、PS主要タイトルの大量仕入れを成功させ、かつ本部在庫の大幅見直しを開始。3ヶ月後の3月に大幅な在庫適正化に成功する。総在庫を減らしつつ注文残を減らすことに成功する(全国200店舗、総額1日平均6000本の注文に対して注残数平均200本レベル)。※注文残・・・在庫切れの為、未出荷ながら次回出荷回しの注文受付けとなる注文数のこと。 |
平成10年6月 |
会社の商品横流し行為等の、不正行為が許せず会社と対立。 |
平成11年2月 |
会社と対立して無断欠勤中、それを理由に解雇される(その1ヵ月後の3月にブルートは破産申告)。 |
平成11年7月 |
今までの経験を生かし、インターネットビジネスに進出。株式会社エブリネットリンクを設立する。外国株式投資により資本を作ることに成功したので、資本金は、自己資金ですべて補う。現在も、投資家の立場で米国のインターネットビジネスを見、投資をしています。 |